意外と知らない、コーヒーが人類史に与えた影響。

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コーヒーにしかできないこと?コーヒーが人類にもたらしたものとは?の続き

イギリスを支えたコーヒー

イギリスの当時のコーヒーハウスは、例にもれず人々の社交場であり、印刷がまだ生まれたばかりで当時高価だった新聞が読めたため、社会や経済に関して多く討論が行われる場所となり、情報が集まる場所となり、識字率も高まり、新聞の重要性が増し、大きくジャーナリズムが発達していくことになりました。

 

やがてコーヒーハウスそれぞれに個性が生まれ、学生の勉強の場や、娯楽や教育についての話が盛んなコーヒーハウスや社会体制などが主に話し合われるコーヒーハウスなど、特色を持ったコーヒーハウス(クラブのはしり)が生まれます。酒場で話し合うよりも、カフェイン効果のあるコーヒーを飲むコーヒーハウスのほうが、しらふで話し合うことが出来ることもあり、討論の場はコーヒーハウスに移されたのです。

17世紀末までには、ロンドンには3000近いコーヒーハウスが乱立していたと言われています。

 

イギリスにコーヒーの文化は定着し、社会に革新を生み出しました。

 

ロンドン証券取引所の発祥地であるエドワード・ロイズのコーヒーハウスは、ロンドンの世界で最も有名な保険会社であるロイズの本拠地となりました。情報が集まり、人が集まることで、活発な意見交換や人々に必要とされているものを聞き取れる場所となったため、それまでなかったロイズの船舶の海上保険が生まれたとも言われています。

人々が集まる場所が、交流する事が出来る場所の存在が、多くの人々の意識改革と結束を促したのです。

 

パリのコーヒー文化は、フランス革命を呼び起こしたとも言われています

 

1773年に、アメリカがイギリスから独立をするきっかけとなる事件「ボストン茶会事件」がボストンで起こります。これはイギリス政府のアメリカでの施政(紅茶などに関税をかけるタウンゼンド諸法)が耐え難いものであったために、その課税の対象となった、イギリスの象徴でもあった紅茶を停泊していたイギリス東インド会社の船から投げ捨てた事件です。この後、イギリスはこの事件の弾圧のために軍をアメリカに送りますが、それを発端として独立戦争になだれ込み、アメリカの独立を許します。

この事件を機に、アメリカに住む人々は紅茶(イギリスの象徴)からコーヒーにシフトしていく契機になり、それがそのままイギリスからの独立を表しているようでした。

 

コーヒーショップは、イタリアとプロイセン(ドイツ)でも確立されていました。これらの国や都市でも、コーヒーは文化や政治と密接に絡み合いました。

人類とコーヒーとは?

今日でも、世界各国のコーヒー文化は、コーヒーが歴史上に登場した1400年代のイエメンと1500年代のコンスタンティノープルと大きな違いはありません。

コーヒーハウスは、人々が出会い、意見を交換したり、戯曲に耳を傾けたり、芸術を楽しんだり、社交を楽しんだりするのに適した場所です。

大規模なコーヒーチェーン店が世界中に広がっている現在も、小さな喫茶店はコーヒーを多く人々に提供し続けています。我々は現在も、政治的な話し合いやゴシップのやり取りをコーヒーとともに行っているのです。

コーヒーは、人間社会を大きく進歩させた飲み物と言えるでしょう。

 

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