人類とコーヒー文化の関係性
世界のコーヒー文化とは?コーヒーと人類の関係性とは?
あなたの国のコーヒー文化は何ですか?
あえて言葉にするなら、「コーヒーショップの雰囲気を社会の潤滑油としている様」というところでしょうか。
実例としては、近年のアメリカのシアトルとコーヒーショップまたはカフェとの密接な関係や、トルコのトルココーヒーが人々の習慣や生活に密接であることなどがあげられます。
コーヒーの文化は、何世紀にもわたって存在しており、1900年代後半のコーヒーショップのありようが、世界中のコーヒー文化の基本となっています。
コーヒーはどこから?
最も古いコーヒー文化の記録は、イエメンの1400年代初めのものです。コーヒー文化の芽吹きともいえるコーヒーハウスは、メッカの地で始まり、コーヒーの影響が他の覚せい効果のあるものよりも優れていると感じた権力者に奨励されました。これよりしばらく、コーヒーは権力者と庶民との間の駆け引きに使われるようになります。
コーヒーハウスでは、人々が交流したり、チェスをしたり、エンターテイメントを楽しむことができる社交場になりました。
と同時に、コーヒーハウスは、政治が議論され、革命が芽吹きやすい場所でもあり、何度も時の権力者に弾圧、抑制されました。
生水が飲めない地域が多いこの世界では、生水を煮沸して飲むコーヒーは大いに飲まれることになり、コーヒーの文化が人々の生活に定着してきたため、コーヒーハウスを根絶することはほとんど不可能になりました。
権力者は最終的にコーヒーに税金を課すことでコーヒーハウスに人が集まらないようにするなど、相当苦心したようです。
コーヒーハウスが「雄弁がふるえる唯一の劇場」としてイエメン近辺のコーヒー文化につなりました。
イエメンのコーヒーハウスの始まり、コーヒーの文化がどんどん世界中に広がり始めました。 1475年に、トルコの首都イスタンブールの前身都市コンスタンティノープルに世界初のコーヒーハウス「Kiva Han」という店が生まれたと記録されています。
イブリークで淹れられたトルココーヒーは、エンターテインメントと一緒に提供され、政治的、社会体制の批評も少なくありませんでした。
ヨーロッパで最初に記録された喫茶店は、戦争によってもたらされました。その最初のカフェは、トルコ軍がウィーンを占領した時に生まれました。
やがて世界に広がったコーヒーを飲む習慣と、それに伴い生まれたコーヒーハウスは、やはり社交の場となり、娯楽や教育、政治を語る場所として展開されました。
コーヒー、ヨーロッパへ
コーヒー文化はすぐにヨーロッパを席巻し、イギリスにもたどり着くことになります。
1670年あたりから、ロンドンにコーヒーハウスが登場しました。 イギリスは紅茶のイメージがありますが、市民に根付いたのはコーヒーが先です。紅茶は18世紀になってからになります。
1675年、チャールズ2世はコーヒーハウスを「革命の温床」として弾圧しようとしたが、市民の抗議のためにわずか11日後に宣言を取り下げました。