コーヒー農園に訪れたコーヒー危機をすくったのはフェアトレード?

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コーヒー栽培の将来。コーヒー生産者が守るべきは利益か環境か、の続き

コーヒー危機ってなに?

ドイツの非営利団体「TransFair」のような組織が、フェアトレードのコーヒーを業界および社会に定着させようとしているように、私たちはコーヒーに危機がやってくると危機感を感じました。
しかし見渡せば、コーヒーの値段が変わるのでもなく、いつもと変わらないコーヒーが当たり前のようにあります。
普通の人にはわからない危機が、その当時、確かにそこにありました。

この場合に言及されるコーヒー危機は、1990年代後半から2000年代前半にかけてのコーヒー価格の崩壊であり、ポンド当たり約1.50ドルの高値から、2003年のポンド当たり約0.5ドルまで値を動かし、国際コーヒー機関と協調して、質の高いサポートと価格のサポートを奨励する国際連合(UN)が、世界のコーヒーの危機を理解するためには、世界市場におけるコーヒーの地位に関するいくつかのことを理解する必要がありました。

コーヒー豆は世界市場で2番目に取引されている商品です。その生産と販売は、世界中の何千万人もの家族を支えていますが、特に発展途上国では顕著にその傾向が見られます。ほとんどのコーヒー栽培は、家族農家によって小さな農場で生産されていますが、大規模なコーヒー農園もいくつかあります。
1989年まで、コーヒーの価格は国際協定によってある程度規制されていました。
ICAが1989年に下落したとき、切迫したコーヒー危機の傾向がありましたが、作物が荒廃した南米諸国の悪天候のために、数年は実現できませんでした。その結果コーヒーの不足は1990年代半ばまでコーヒーの価格を高騰させました。しかし、それでも、コーヒーの危機は避けられませんでした。

1990年代半ばの高値は、より多くの農家がコーヒーを栽培するために広い土地を買い求めました。
コーヒー工場が成熟し果物を生産するには少なくとも2年かかり、ピーク生産に入る前には4年がかかるため、この農地拡大の結果が出るのは2、3年は経たないとわかりませんでした。

1990年代半ばに世界のコーヒー市場に参入したのは、いまや世界第2位の生産量を誇るコーヒー主要生産国だったベトナムでした。戦争、経済の混沌期のため、ベトナムは何十年にもわたってコーヒー市場から姿を消していました。
1990年代のほんの数年の間に、世界のコーヒー市場にいなかったベトナムが、突然世界第2位のコーヒー輸出国に移行しました。

コーヒーの需要を超える供給

コーヒーの危機は予想外の影響をもたらしました。現在のコーヒーの低価格は、コーヒーが国民総生産の主要部分である国々の経済に影響を与えています。
販売されているコーヒーの品質やコーヒー農園経営の継続性に直接影響している現金収入の低下。つまり、コーヒー豆は、作れば作るほど赤字を生み出しかねないものに成り下がったのです。
世情が安定し、世界の需要が膨らんだために生産量を増やそうと既存のコーヒー農園主たちが農地の拡張に動いたことと、今や世界第2位の生産量を誇るベトナムの莫大なコーヒー生産量のポテンシャルがぶつかり合ったときに、この悲劇は起こったのです。

コーヒー危機からコーヒー生産者を救ったのはコーヒー愛?へ続く

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